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2008.05.06

鹿児島にて

ゴールデンウィークを利用して 実家のある鹿児島へ行ってきました。

ある程度予想はしていましたが、鹿児島は 大河ドラマ「篤姫」一色でありました。 

『篤姫』(第9回)は、2005年放送の『義経』第5回(26.9%)以来約3年ぶりに視聴率25%を超え、25.3%という高い数字を記録したとのことです。

篤姫は、江戸城無血開城に大きな役割を果たし、最後まで大奥を統率し、徳川の血筋を守り抜いたといわれる薩摩 島津家の分家出身の女性です。

皮肉なことに彼女の運命を狂わせたのは、倒幕に燃える故郷薩摩藩であり、彼女の婚礼の仕度役だった西郷隆盛でありました。

      NHK「篤姫」より          鹿児島「篤姫館」

西郷さん(西郷 隆盛)は、今も昔も鹿児島最大のヒーローであります。

逆に 大久保 利通 の人気は殆どありません。いや寧ろ 裏切り者的な扱いをされているといった方がいいでしょう。

私自身 小学校の歴史の授業の時に 日本史上最大の内戦となった「西南の役」にて 城山の地で無念の死を遂げた西郷 隆盛、薩摩の最後に悔し涙を流したこと、大久保 利通憎し と思ったことを今でも覚えています。

 

  西郷 隆盛像      大久保  利通像   東郷 平八郎像 

                        

                                                      

しかし 司馬遼太郎氏「翔ぶが如く」(泣こよかひっ飛べ)を読むまでもなく、大久保 利通が どれ程偉大な人間だったのかは 歴史が証明しています。

廃藩置県、富国強兵、殖産興業・・・時に冷血、独裁と言われようとも 大久保 利通のリーダーシップがなければ この国は他のアジア諸国のように欧米列強の植民地となっていたことでしょう。

西郷 隆盛が城山に散った翌年 大久保 利通も東京・紀尾井町にて 出勤途中、乗っていた馬車を不平士族6人に囲まれ、暗殺されました。  大久保 利通は、その馬車の中で、亡き西郷の手紙を読んでいたそうです。

最終的には考えの違いから対立しましたが、大久保 利通の心の中では、西郷 隆盛は最後まで日本の為に命を懸けて戦った盟友だったのでしょう。

ロンドンタイムスは「大久保利通氏の死は日本国の不幸である」と報じたそうです。

考えてみれば  大久保 利通は 日本を欧米列強から守った救世主だったのかもしれないし、現代日本の礎を築いた最大の功労者だったのかもしれません。

私は 関東に住むようになってから もう20年近くなりますが、鹿児島を裏切った人間、郷土を見限った人間 という大久保 利通へ未だに貼られているレッテルが なんとなく私自身にも向けられているようで 時々肩身が狭くなるものです。

遠い将来的には鹿児島の地に何らかの貢献をしなければならないかな とも考えていますが、多分に私の開業人生は 東京 荒川の地にて全うすることになるのでしょう。

私には西郷や大久保のように「日本の為に・・・」などと大きなことはできませんが、地域医療の為に多少なりとも貢献できれば幸いであります。

鹿児島番外編

時に薩摩の人間には 無茶をする傾向があるようです。

関が原合戦における島津義弘の敵陣中央突破(家康本陣前突破)による退却戦、家康はびっくらこいたでしょう。

幕末の文久3年当時世界最強艦隊といわれた英国との薩英戦争・・・・イギリスと薩摩が戦う? 本当に無茶してます。

でも薩英戦争があったからこそ 英国と薩摩はパートナーとなり、明治維新への道が開けたのですよね、東郷 平八郎提督殿。

そういえば あなたは世界最強といわれたバルチック艦隊も撃破して日清戦争に続いて日露戦争も勝利に導きました。 世界中 びっくらこいたことでしょう。

ルーズベルトをして 「トラワァルガー沖海戦をも上回る世界最大の驚嘆事」 と言わせしめました。

トルコ・エジプト・フィンランドなどロシア帝国の脅威に怯えていた国々では 未だにあなたは大人気というじゃありませんか。

司馬遼太郎氏「翔ぶが如く」題名の由来である「泣こよかひっ翔べ」という薩摩の言葉は、 困難に直面した時、何もせずその場で泣いているより、思い切って行動してみよう という薩摩人、鹿児島人の心意気を如実に表した言葉であります。